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2008/03/11

人間の能力の話 〜 やさしい経済学 - 21世紀と文明【日経新聞】

4004310741ときどき興味深い話が載る日経の「やさしい経済学」、こないだからちょっと気になっていたけど今は、東京大学教授の西垣通さんという人が連載中です。

曰く、「農耕牧畜が始まるまでのヒトは、数十人から百人程度の群れをつくり、移動しながら生活していたのではないかと考えられている。この人口割合は非常に大切だ。(〜中略〜)ロビン・ダンバーの「百五十名が群れの上限値」(〜続く)」とのこと。

要するに、人間の脳の物理的許容量からは、「われあれヒトとは、せいぜい百名程度の共同体を作り、その中でコミュニケートしあいながら生きる生物」とのこと。
「ではいったい、人口一億以上の近代的国家共同体というのは何者なのだろうか。」
インターネットをベースにして地球村ができ、全人類がコミュニケートしあえるという考えは幻想のような気もしてくる、とも言っています。

ちょっと話は違いますが、2割の働きアリと6割の普通のアリと2割の働かないアリの話などもありますし、生物の視点から人間を見直し、生物の能力や特性を知り、それを考えることはとても興味深いですね。

現代のように人間の能力と技術などの進歩とのミスマッチが大きい時代にはこういった視点から人間の限界を見極めて対策を練ることが重要な気がします。

アマゾンで探したら西垣教授のちょうどそういう話を書いていそうな「ウェブ社会をどう生きるか」を見つけたのでご紹介。

ついでにgoogle してみたら、
http://premium.nikkeibp.co.jp/itm/int/21/index.shtml
こんな記事を発見。
思想家なのか宗教家なのか、兎に角、教授になるくらいの人は言ってることが意味不明ですね・・。断片を自分なりに解釈するのが精一杯です・・。

2007/09/06

2007/09/06 日経新聞 経済教室

一昨日から、「経済学を語る - 異分野の視点」上(9/4)/中(9/5)/下(9/6)、ということで、異分野からみた経済学について語るミニ特集みたいなものだったようです。
そういう特集だったので一昨日は毛利さんだったのだなと思いつつ今日の分を見たら、哲学者でお茶の水女子大教授の土屋賢二さん、『「巨大ヌエ」さらに解明を』ということで複雑怪奇な経済学をヌエに例えて経済学の複雑さや矛盾などを論じていました。
暖簾に腕押し、みたいな文体で、シニカルに批判を繰り広げているとも、自虐的に自らと自らの周りの人々をネタに笑いを誘っているのかとも、真意がどこにあるのかわからないながらも、面白い文章で個人的には好きな方です。
誰もが思っている「経済学」についての批判のような疑問のようなことを笑い話のように語るその文章はなかなか面白いのでぜひご一読あれ。

2007/09/04

2007/09/04 日経新聞 経済教室


今日の日経新聞の29面、経済教室という記事で宇宙にも行った毛利衛さんが『「合理的個人」脱却を』という題名で経済学のパラダイムシフトを期待するという趣旨の記事を書いていた。

記事から読み取ったところを自分なりに解釈して説明すると、

経済学が合理的個人を前提にしていることはもはや天動説みたいなものだ(原文中では万有引力と書いているけども。)

自然科学の世界では「天動説→地動説」のようなパラダイムシフトを何度も経験してきた。
例:「天動説→地動説」、「万有引力の発見」、それでも説明の付かない事象を、「アインシュタインの相対性原理」で説明、また原子分子の世界で説明の付かない事象は「量子力学」によって説明するようになった。

そのようなパラダイムシフトによって「地動説的な視点(を)、経済学(に)も」、ということらしいですが、説明を端折り過ぎていてうまく表現できていないかもしれませんが、良い記事なので興味を持った方は原文をご覧ください。

経済学者と呼ばれる人たちが一概にこういった視点を持っていない訳ではないと思いますが、毛利さんのような完全な異分野の人がこのコラムに寄稿しているのを見ると、合理的な個人から脱却した新しい経済学によって多くの世界に存在する課題を片付けなくては人類の生き残る道は無い、という強い危機感が感じられました。

ところで、ときどき良い内容が載る「経済教室」や「やさしい経済学」などの記事がネットには載らないのが残念でならないですね。